爆心地から500mほど北東に坂道を登り平和公園の上に出ます。
そこに当時東洋一と言われた「浦上天主堂」が再建されていました。
爆心地のほぼ真下完全に破壊された様子が当時の写真↓から伺えます。
信徒が38年間を費やし、レンガを積み上げ建設したと言う被爆前の浦上天主堂
被災後の写真(再掲)
浦上天主堂の入り口ではなかったのでしょうか?
坂道を上り詰めると右手に純白のマリア様が出迎えてくれます。
マリア像は新しいものでしょうがその台座は被爆当時の物と見受けました。
3連休明け、あいにく休館日とのことで拝観はかないませんでした。
しかしながら教会の周りには当時を物語る瓦礫がや破壊された像が残されています。
天主堂への坂道の途中に残された原爆の熱線を浴びたであろう被爆像です。
背後のレンガも被爆したものでしょう。
あるものは頭部がなく、またある物は頭部だけが残されていました。
当時を偲ばせる瓦礫も一角に残されています。
また天主堂の鐘楼の一部が崖下に崩れ落ちてその場に保存されています。
当地の信徒は約12.000人、その内の約8.500人が犠牲になられたとのことです。
平和公園・爆心地・浦上天主堂と回りました。その後原爆資料館にも足を運びました。
そこで見かけた写真です。
おにぎりを持った親子、もちろん被災された方でしょう。
子供はminojiと年齢は近いでしょう。元気であって欲しいと願うのですが
この写真を見て何かこみ上げてくるものを感じました。
東京・大阪などで空襲で焼け出され、命からがら逃げのびた当時と重なります。
焼跡の惨状は同じでした。おふくろに怪我をすると拾った靴と下駄(片方づつ)を履かせられました。そして炊き出しのおにぎり、日本復興の原点でした。
気が滅入るような惨状を垣間見、二度とあってはならないという思いを強くしました。
ここから長崎駅に戻り「日本二十六聖人殉教地」に向かいます。
9.九州一人旅ー長崎④(平和公園)-
8.九州一人旅-長崎③(グラバー園)-
7.九州一人旅-長崎②(眼鏡橋・大浦天主堂)-
6.九州一人旅-長崎①(夜景)-
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1.九州一人旅ー出水①ー